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カテゴリ:郷土史( 11 )

山中鹿助の首塚と胴塚

月山富田城の麓までは以前2回くらい行ったので簡単に考えていた。トレッキングポールも積んで山の頂上まで行こうという意欲で出発したら、何とナビで広瀬の道の駅の到着時刻が午後3時とか出る。それからよちよちと登って、日帰りは無理と断念。
急遽これもずーっと以前訪問していたがもう一度と、鞆の浦にある山中鹿助の首塚を写しに行った。駐車場から歩く途中にも古い町並みがあった。
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首塚


ついでに先日行ったとき雨のため、鹿助の殺された場所に立っている墓が、真っ黒でいくら修正ソフトで明るくしようとしても無理なので、高梁へまわって阿井の渡しの碑を撮り直しして帰った。
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高梁川沿いの山中鹿助の後に作られた墓

月山富田城は遠い。後日行こうと思ったら血圧が高かった為断念。

by kannazuki1022 | 2019-06-16 17:14 | 郷土史 | Comments(0)

明日からは、また一からです。

第4回発表会が終わって1週間、明日からは何を練習するのかまだ決定していません。楽器もいろんなものを皆で回して吹くという方針のようで、4種類全部持っていかなければならなくなるので荷物も重たくなります。

空の巣にならないように歴史探訪を再開、先日三日月に行ったとき、上月城が近くにあったことをお思いだし、尼子勝久が自刃し、山中鹿助が捕えられたところだ。これは行ってみなくてはと、車で1時間ちょっとなので出かけた。上郡のあたりに山陽道野磨駅家跡というおおきな看板があって、気になってこれは何だ古い宿場町かと寄ってみた。奈良時代の駅路と呼ばれる道路で建物跡や土器が発掘されたらしく、今は埋め戻されて田んぼになっている。
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その先の兵庫県の播磨に、白旗城という看板が目立つ。行ってみたら何と教科書では有名なかの赤松氏の居城だったそうだ。
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やたら立て看板に、赤松円心の名前が出てくる、智頭急行線の駅の名前にも出てくる。
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帰って調べてみると、赤松則村(円心)は鎌倉時代末期から、南北朝時代に足利尊氏方についた。そして播磨赤松の白旗城で新田義貞を迎え撃った。室町時代には、三管領四職の四職の赤松、一色、山名。京極の4氏に名を連ね交代で侍所頭人を務めた。孫の赤松満祐は例の将軍足利義教(三代目の義満の側室の子でくじ引きで決まり僧侶から還俗した)を暗殺している。
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そんな歴史日本史の教科書にあったなあと、ひとりで感動している私だった。
上月城と山中鹿助については、尼子の居城月山富田城へ三度目だが下から眺めただけなので登ってみたいのでそれからまとめようと思っている次第。上まであがれるかどうかは自信は今一つ・・・・・
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by kannazuki1022 | 2019-06-10 21:46 | 郷土史 | Comments(0)

10連休で2人が来れないので練習お休み

皆さんお忙しい様子。練習はお休みで、リコーダーから遠ざかっている。英国恋物語の第2幕の楽譜を取り寄せるよう手配済み。楽しみ・・・
今日は、またお近くの歴史の取材に行ってみた。足守の手前の、髙松城には時々、あやめを見には行ってたが、歴史の目では見たことがなかったので新鮮。
水攻めの大堤防がいかに大きかったか実感した。農民に土1俵を100文、ないし米1升で買い取って全長3キロで8mの高さ、基底部24mの堤防を12日間で作り上げたそうだ。戦争も財力がものをいうという事がよくわかった。

水攻めを考えたのは、黒田官兵衛らしい。
兵糧ぜめもむごたらしいが、軍師は、嫌な仕事だな・・・

蛙が鼻の大堤防のあと
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髙松城本丸跡
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辞世の碑
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巨大な最上稲荷の大鳥居
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面白い看板
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髙松城の水攻めをまとめてみました http://kannnazuki22.blog.jp/



by kannazuki1022 | 2019-05-01 23:56 | 郷土史 | Comments(0)

今日の行動

そうだ、江戸時代の宗教弾圧といえば、キリスト教だが、日蓮宗不受不施派の弾圧があったことはあまり知られていないように思う。目標は瀬戸町、佐伯町、金川にありうちから近い。連休で人がいっぱいのところではない。ということで一日でまわれた。
英国庭園には、去年買った濃い紫のペチュニアがあるから、今年も、という事で行ってみた、3個の鉢を買った。
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瀬戸町の宗堂桜はまだ綺麗で、連休でもあるし、少しの観光客にあった。
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矢田穴観音はマイナーな山の中腹にあった。杖が置いてあったので仕方なしに上がった。
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池田光政の頃、矢田部六人衆は、佐伯町のほうから、わざわざ岡山の旭川の河原の柳原処刑場まで連れて行かれて殺されている。
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歴史探訪に書きましたので、読んでみてください。http://kannnazuki22.blog.jp/


by kannazuki1022 | 2019-04-29 20:38 | 郷土史 | Comments(0)

山中一揆の取材に行き凱旋桜を見てきた

先日から、院庄の「首なし地蔵」を写そうという下心で、津山城の桜をみてきた。「首なし地蔵」は、山中一揆の首謀者が処刑された場所である。山中一揆とは江戸時代に津山藩で起きた処刑された人数51人という最大級の農民一揆である。何十年も前から教材としても興味を持っておりながら、怖くて調べることができなかったのを、この年になって、ついに手を出した。

県北二回目は凱旋桜が満開だというので、これは湯原、蒜山へいくのに絶好のチャンスと一揆関係のものを色々写してきた。新庄宿の町はずれの新庄川の河原には「今井河原処刑場」というところがある。桜は満開だった。
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県北三回目、簡単に調べたメモをもって、勝山の「一心庵」という美味しい蕎麦屋で食べて、さあ北へ向けて出発。
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勝山藩の別邸の「椎の木御殿」というところに立ち寄った。人が少なすぎる。
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勝山町見尾には、義民樋口野治郎の碑がある。傍に愛犬の墓があって可愛そうで悲しくなった。野治郎さんは最後まで逃げていて、家の裏山に身をひそめていた時、愛犬「白」がお弁当を運んでいたという。可愛いではないか、うちの犬ならどうしただろう。きっと運んでいる途中でごちそう様と食べてしまうかも、でもその洞窟までの道へのあとをつけられて津山藩に捕まって院庄で処刑されてしまう。野治郎さんの生家跡で出てこられて話をしてくださった方は「隠れていたのは、あの山の中腹です。見てやってください」と言っておられた。子孫の方だったようだ。
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帰路に以前から大きな蜂が目をひく山田養蜂場のぶんぶんファクトリーに寄ってみた。どでかい蜂がトイレの上にある、。週末限定プリンのセットが500円。
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山中一揆は10か所くらいは廻ってこれで済みと思ったら、まだ2か所残っていた。もう一度県北へ行かなくては・・・・壮大な一揆である。
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蒜山から見た大山


by kannazuki1022 | 2019-04-22 23:28 | 郷土史 | Comments(0)

ウォーキングポールをゲット、玉島へ西爽亭の取材に

今、山田方谷と熊田恰(あたか)のことを調べていて玉島へ行ってみた。
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西爽亭には数回訪問しているが、ほかにお客さんが来ておられなかったので詳しい歴史的背景が聞けてよかった。新島襄が宿泊しているとも、キリスト教の話になって、岡山で唯一のギリシャ正教のハプテスト教会が近くの柳井原にあるとのこと、それは初耳と帰りにすぐスマホ検索して立ち寄ってみた。かわいい建物が建っていた。
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イオンモール倉敷に至る新しい橋を渡ろうと道を間違えUターンしたところがなんと、一の口水門だった。昔の高瀬舟通しといわれたのころの水運で備中松山の水谷氏のころ1645年に整備されたようだ。こんなところにあったのかと偶然見つけられて嬉しかった。
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登山までする気はないけれど、山城くらいは上ろうという気力でウオーキングポールのチタンの175gの軽いのを買った。準備は出来たけれど蛇が出るころには行きたくないなあ。
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by kannazuki1022 | 2019-04-13 17:57 | 郷土史 | Comments(0)

何で桜、と磯田道史さんの講演と備前福岡

磯田道史さんのファンなので、市民会館で講演があるというので勿論、申し込んだ。大勢の人だった、みんな歴史が好きなのだろう。彼のことは武士の家計簿の頃から職場のおかあさんから聞いていてよく知っている。親しみやすくとっても聡明でつぎつぎと知識があふれ出てくる講演に流石と感服した。山田方谷がテーマだということで、市立図書館の資料で見る山田方谷も先日講義に行ってみた。それぞれ違う視点でまとめていて面白かった。どちらも少しの時間では大勢は語れないわと思った。磯田さんは柔らかく解りやすく語ってうまいなあと勉強になった。
車を県庁においてとりに行くと何とあの醍醐桜が移植されていてもう見頃、後楽園の桜はまだ咲いていないし開花宣言もされてないのにびっくりした。
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今、権謀術数で、岡山を自分のものにした、宇喜多直家をまとめている。それで父親の墓のある備前福岡に行ってみた。初めて登録文化財に指定されたという仲崎邸に入ってみた。15年住んでなかったそうだ。
10年もかけて100年前に建てられた豪邸で当時の大地主は贅の限りを尽くしているんだと認識した。
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青磁のトイレだそうで、風呂トイレは別棟にある
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備前福岡は鎌倉時代の一遍上人絵伝に出てくる。市が立って栄えたところで福岡千軒と云われていたそうだ。
宇喜多直家親子は放浪の末、備前福岡の豪商阿部善定のところに親子で転がり込んでお世話になっていた。そこで父興家はストレスからか病死したそうで、墓が妙興寺にある。黒田官兵衛の祖父の墓も同じ敷地にある。九州に博多と福岡があるが、その福岡の地名の由来になっている。
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by kannazuki1022 | 2019-03-25 22:29 | 郷土史 | Comments(0)

大賀島寺と綾部梅林

綾部梅林の下で菜の花まつりという催しが、あれ人が大勢いると思ったら作り物の案山子だった。目を引くのががっくりして落ち込んでいるやつ。
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八浜合戦をまとめるため、邑久の大賀氏島寺へ。宇喜多一族の直家の祖父の墓があるという。
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八浜合戦で、宇喜多与太郎基家という18歳で最前線に出て流れ弾で兜を打ち抜かれて即死した青年の話。彼は当時は不治の病の脚気を患っていて歩行も困難だったとも言われていて馬に乗っていて、総大将として超目立つ真っ赤な甲冑と金色の兜をかぶっていた。標的にされない訳がない。
彼の墓が、戦死した地の与太郎神社ないし、大賀島寺にあるという。しかし八浜から邑久の山の上までわざわざ運んだとは思えない。やはり八浜か・・・
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金色の兜今度公開されたら是非見たい。現在は岡山博物館が管理しているらしい。   http://kannnazuki22.blog.jp/

by kannazuki1022 | 2019-03-04 17:00 | 郷土史 | Comments(0)

はじめて知った女王丸事件

牛窓に、菅原道真が太宰府に向かう途中に立ち寄った、天満宮があるというので家のワンちゃんを連れて階段120段を往復した。
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彼はすいすい上がったがこの私の方がはあはあ。道真が、昔讃岐の国司だった時を懐かしく思って歌を詠んだそうで、ちょうど、天気が良く四国の屋島が見えた。
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牛窓の町中をワンコ連れて歩いていると、出あった人がふたり可愛いと言ってくださった。
本連寺が昔懐かしく上がってみた。オーケストラの合宿でみんな雑魚寝状態でお泊りし、トイレが外の廊下を歩いていくのが怖かった思い出と、朝目が覚めて襖をあけるとお坊さんが、朝のお勤めをされていたのにはびっくりした思い出がある。境内に女王丸遭難の碑というのがあったので何のことだと帰って調べてみた。
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昭和23年1月28日夜中3時頃、大阪から多度津に向かっていた関西汽船の船が、牛窓沖で米軍の仕掛けた魚雷に触れ沈没した。遺体で収容18名行方不明153名、154名は救助。本連寺につぎつぎ遺体が収容されたという。そんな悲しい事件があったなんて全く知らないで本堂で雑魚寝し、オケの練習していたなんて・・・・・
木造三階建てはまだ健在だった。でもボロボロ・・・・・
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by kannazuki1022 | 2019-03-01 22:57 | 郷土史 | Comments(0)

今歴史が面白い

最近岡山県のお手近な、今までは教科書に出てくる歴史しか知らなかった身にとって、郷土の歴史が面白いということに気付いた。何を始めるにも遅いということはないと思っているのでまた、新しいことに手を出してしまった。宜しければ見てやってください。
「Yasukoの歴史探訪」 http://kannnazuki22.blog.jp/
というブログに書いています.
倉敷のほんの近くの日頃うろうろしているところに、平氏や源氏の源平合戦の本陣があった
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倉敷羽島にある法輪寺、藤戸合戦の時ここに源氏の範頼の本陣があった
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玉島乙島の常照院、源平水島合戦の時、源氏の木曽義仲の本陣があった。
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常照院ではなかなか、道が細かったり駐車場所がなかったり、山の麓の近くの方でも全く知られなかったりこの上ですよと言われたらほっとした。平安時代の歴史などリコーダーと同じようにマイナーなのかもしれない。
岡山から倉敷にいくバイパスの加須山のところの高いところの橋、法輪寺の近くなので通ってみた。橋の上は倉敷市役所より高く、高所恐怖症の私は足がひるむ、落ちないように高い金網がはってあった。
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by kannazuki1022 | 2019-02-21 22:19 | 郷土史 | Comments(0)