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はじめて知った熊沢蕃山の住居

山田方谷のことを調べていると、熊沢蕃山がブルーラーンの岡山からは終点の蕃山というところに、39歳で隠棲してるいう事がわかった。
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しかも陽明学者の蕃山を慕っていた山田方谷の閑谷に講義に来た時の宿所を約10KMも離れていたところに用意していた。正楽寺という大きなお寺のすぐそばに両者の家はあった。
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山田方谷の居宅跡からちょうど新幹線を挟んで熊沢蕃山の家が見える。
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日生の海の駅からすぐ近くにの備前市穂波というところに池田光政の命により津田永忠が実現した井田法の遺構が残されていて、日本遺産に閑谷学校とともに指定されたという。井田法とは中国周の時代に周公旦が田んぼを9等分して真ん中を公田としてみんなに耕させた方法のこと。さずが中国には1000年以上前の遺構は残ってない。
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by kannazuki1022 | 2019-07-31 20:09 | 探訪 | Comments(4)

Commented by kimiyasu at 2019-08-02 10:35 x
毎日、厳しい暑さが続きます。熊沢蕃山は、中江藤樹の弟子ですよね。中江藤樹は、愛媛の大洲藩を脱藩して、近江に戻りました。年老いた母を一人にするのが、不憫だったようです。私が小学時代、学芸会で、中江藤樹の劇をしました。その頃は、全く意味がわかりませんでしたが。
Commented by kannazuki1022 at 2019-08-02 17:27
> kimiyasuさん
小学校での劇ですか。とても難しいテーマですね。熊沢蕃山のことは調べていますが、中江藤樹はもっと勉強しなければよく知らず混沌としています。いいテーマを与えてくださってありがとうございます。
Commented by kimiyasu at 2019-08-03 11:04 x
中江藤樹は、農民の子として生まれ、親類の祖父母の養子となり、米子藩に行きました。その際の両親との別離を描いた風景を劇したのですが、バックミュージックに<トロイメライ>が大きく流されました。子供心に、この曲は、何と悲しいメロデーかと感動していました。ところが、<トロイメライ>とは、ドイツ語で<夢想>と言う意味で、本当は、悲しい曲では、ないようでした。
Commented by kannazuki1022 at 2019-08-03 20:12
中江藤樹の生涯、読みました。琵琶湖の傍に記念館などがあったことなど知りませんでした。ちょっと興味を持つことが出来ました。
学校の教材で、中江藤樹を取り上げるなんて、すごい先生ですね。博学の方だったんですね。
大洲を脱藩してまで、近江に帰りたかったんですね。大洲はいいところなのに・・・・・

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