2019年 06月 16日
山中鹿助の首塚と胴塚
月山富田城の麓までは以前2回くらい行ったので簡単に考えていた。トレッキングポールも積んで山の頂上まで行こうという意欲で出発したら、何とナビで広瀬の道の駅の到着時刻が午後3時とか出る。それからよちよちと登って、日帰りは無理と断念。
急遽これもずーっと以前訪問していたがもう一度と、鞆の浦にある山中鹿助の首塚を写しに行った。駐車場から歩く途中にも古い町並みがあった。
首塚
ついでに先日行ったとき雨のため、鹿助の殺された場所に立っている墓が、真っ黒でいくら修正ソフトで明るくしようとしても無理なので、高梁へまわって阿井の渡しの碑を撮り直しして帰った。 高梁川沿いの山中鹿助の後に作られた墓
月山富田城は遠い。後日行こうと思ったら血圧が高かった為断念。
急遽これもずーっと以前訪問していたがもう一度と、鞆の浦にある山中鹿助の首塚を写しに行った。駐車場から歩く途中にも古い町並みがあった。
ついでに先日行ったとき雨のため、鹿助の殺された場所に立っている墓が、真っ黒でいくら修正ソフトで明るくしようとしても無理なので、高梁へまわって阿井の渡しの碑を撮り直しして帰った。
月山富田城は遠い。後日行こうと思ったら血圧が高かった為断念。
by kannazuki1022 | 2019-06-16 17:14 | 郷土史 | Comments(0)