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明日からは、また一からです。

第4回発表会が終わって1週間、明日からは何を練習するのかまだ決定していません。楽器もいろんなものを皆で回して吹くという方針のようで、4種類全部持っていかなければならなくなるので荷物も重たくなります。

空の巣にならないように歴史探訪を再開、先日三日月に行ったとき、上月城が近くにあったことをお思いだし、尼子勝久が自刃し、山中鹿助が捕えられたところだ。これは行ってみなくてはと、車で1時間ちょっとなので出かけた。上郡のあたりに山陽道野磨駅家跡というおおきな看板があって、気になってこれは何だ古い宿場町かと寄ってみた。奈良時代の駅路と呼ばれる道路で建物跡や土器が発掘されたらしく、今は埋め戻されて田んぼになっている。
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その先の兵庫県の播磨に、白旗城という看板が目立つ。行ってみたら何と教科書では有名なかの赤松氏の居城だったそうだ。
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やたら立て看板に、赤松円心の名前が出てくる、智頭急行線の駅の名前にも出てくる。
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帰って調べてみると、赤松則村(円心)は鎌倉時代末期から、南北朝時代に足利尊氏方についた。そして播磨赤松の白旗城で新田義貞を迎え撃った。室町時代には、三管領四職の四職の赤松、一色、山名。京極の4氏に名を連ね交代で侍所頭人を務めた。孫の赤松満祐は例の将軍足利義教(三代目の義満の側室の子でくじ引きで決まり僧侶から還俗した)を暗殺している。
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そんな歴史日本史の教科書にあったなあと、ひとりで感動している私だった。
上月城と山中鹿助については、尼子の居城月山富田城へ三度目だが下から眺めただけなので登ってみたいのでそれからまとめようと思っている次第。上まであがれるかどうかは自信は今一つ・・・・・
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by kannazuki1022 | 2019-06-10 21:46 | 郷土史 | Comments(0)

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