帯江銅山の存在の追及

犬島美術館の出口であった強烈おばぁの説明の中に、黄銅鉱を帯江銅山から運んできていたという説明が。あの倉敷の帯江と調べてみると、本当にあった。明治末から大正ごろに銅山があったそうだ。煙害のために帯江から犬島に1909年にうつされた。犬島では1919年まで製錬していたため島には緑がなくなってしまった。
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帯江銅山の遺構の後として、個人のお宅の畑の中に発電所の煙突の一部が残っている。おじゃました時にそのうちの方がおられて、どうぞどうぞと快くうつさせてくださって邪魔なものどけましょうかとまで、気を遣ってくださり温かい気持ちになりました。かつて、ご主人が市役所に保存のことを、申し出たけれどお金のかかることはと、断られたそうだ。あと残っている遺構は、自動車学校の裏山にすごい壁があった。
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おばぁの説明に、黒い煉瓦のような塊は銅を取り出した後の、鉄とガラスという説明、ガラスが入っているのは本当だろうかと、あと拘っている。
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by kannazuki1022 | 2018-02-26 23:18 | 雑談 | Comments(0)

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